日展『不正審査」問題 2

今朝、11月17日の朝日新聞社説、
「日展の疑惑―抜本改革を進めるとき」が掲載されていました。


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先に11月9日には神奈川新聞が社説に、
日展・「美術振興の名が泣こう」を掲げました。

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朝日新聞の社説では、
公益社団法人としての日展は「公募展」であり
審査の公平性が求められるということ。
そのうえで、
❶談合で作品の評価
❷選考されたのちの金銭的謝礼・金銭の授受
❸傘下団体ごとの審査員数の割り当て
❹「特選」数の団体ごとの割り振り=利益配分

が、問題としています。

そして抜本改革が必要とし、
❶審査に外部の目を入れる
❷審査員が属する団体の作品の選考には関与しないシステム

が必要という見解です。

僕もほぼ賛成ですが、
対策の❷の審査員が自ら所属する団体の作品選考にかかわらない、とするのは
審査の公平性から技術的に難しいことだと思います。だったら審査員はすべて傘下団体に所属しないということにしなければ、公平性は保てない。

外部審査員の参加は大事なことだと思います。そのことが傘下団体に所属しなくとも
入選の可能性が広がり、公平性が拡大します。

「作品本位」の選考をどう進めるかという課題。

それには、
❶まずは日展の「理念」の確立。
審査の公平性=「作品本位」を徹底するために審査基準に「団体利益の排除」「供応の禁止」「金銭授受の禁止」「情実の排除」を明確にうたう。
この辺の理念が明確にされないで、「世渡り上手」が内々の理念になっているのではないですか?また、日展だけでなく各団体展の審査でも「謝礼」の横行が昔から常態化していて、
先輩からの受け継ぎ理念にさえなっていることを断ち切らなければならない。
公正理念が欠落している人物は審査員としての資格がないという立場を日展と各団体のメンバー全体が共有しあうようにならなければ、審査の公正性は保てない。審査が公正でなければ自ずと芸術水準の低下を招いていくのです。

❷外部審査員の参加=開かれた日展
その比率を50%ほどにする。(一人、二人では多勢に無勢)
外部審査員の毎年半数交代制と、審査員の選出、公表時期などの「供応」の余地がないような制度的改革が必要。それと日展が常に外部との交流があり開かれた、、風通しの良いことが大事だと思います。自分も、東光会・日展から離れて初めて、内部では普通だった感覚とは違った目が出来たような気がします。

❸監督官庁と政府の関与の問題。
文化庁が常に公益社団法人としての監査・監督をしっかりやるとともに、「内閣総理大臣賞」や「文部科学大臣賞」などの授与が妥当なことかの再検討をしたらどうかと思います。各大臣賞の選考には外部審査員がそれをすると行政指導がありますが、事実上団体審査員での事前絞り込みなどがあり、形骸化されています。果たして「大臣賞」が必要なのでしょうか。
また、さらに芸術院会員の審査・事前運動などへの公正性を追求し、改革しなければ「変な名誉」ばかりを追い求める「体質」は無くならない。しいては、真の芸術家とは程遠いものが日本の芸術家を代表していくことになりかねないのです。言わば、政府が「日展」の権威を公認しているような構図を断ち切るということです。大きな団体を良しとするのではなく、小さくとも優れた団体にも公平に接するとか、政府が芸術団体への公正・公平な接し方が求められるのではないかと思います。

根は深く、大きいですね(笑)。

この記事へのコメント

柳下義一
2025年02月22日 20:20
柳下義一
2025年02月22日 20:36
日展問題は行政側にも利用されて居るように思います。早く公平に改善される事を願っております。

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